Shin Takamatsu Architect and Associates Co.,Ltd. 株式会社高松伸建築設計事務所

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このまちの人々は、少しばかり俯き加減に、少しばかり歩幅も小さく、少しばかり身を縮めるように生きている。そんなことにふと気づいたのは、京都に住んでしばらくしてからのことである。ある時、知人が、半端仕事だが…と断って、普請話を持って来た。聞けばお茶屋の改築とのこと。加えて女将が少々うるさいとのこと。施主が小うるさいのは京都の常。それに、れっきとした建築家は、れっきとした明日をも知れぬ職業である。ふたつ返事で引き受けた。とはいえ、お茶屋のなんたるかなど、当時の私が知る由も無い。しかるにそこはそれ、そんなことで決してひるんだりしないのが、新進気鋭などともてはやされていた所以である。えいままよ…とばかりに、古びたお茶屋の敷居を跨いだ。而して、女将との運命的出会いと相成った。今にして思えば、自らの愚昧な不遜と迂闊につくづく感謝しなくてはなるまい。とまれ、いきなり小さなお茶屋と組んずほぐれつすることになるのだが、そのこけつまろびつのさ中で、実に多くの知恵を、女将から嚙んで含めるように授けられることになった。それまで知った気でいた生半可の全てが、なんの益体も無いことを、とことん思い知らされることになった。中でも「寸法」はウロコどころか目も落ちた。幾つか繙こう。「式台の高さは裾を割ってはならぬ故、五寸」…我々は20cmほど、即ち七寸と学んだ。「床の間の棚は客人の首を刎ねてはならぬ故、二尺」…低い!教科書には90cm、即ち約三尺とある。「建具の取手引手は座して繰る故、二尺五寸」…定石は1メートル即ち三尺三寸…とまあこんな具合である。そのことごとくを、あらためて手で確かめ、体で感得しつつ、やっとこさ職務を全うした。で、しばらくして気がついた。ひよっとしたら、お茶屋はもとより、このまちの隅々までもが、実はこんなふうにして作られているのではあるまいか…と。女性の立居振舞によって鍛えられたと思えなくもない、ちょっと小さめも寸法で測られ刻まれているのではあるまいか…と。なにも竹矢来や連子格子ばかりではなく、むしろそのように目に見えるものを決定しているところの、このいわば縮んだ寸法大系もまた、このまちの伝統のひとつではあるまいか…と。そう考えると、このまちの人々の、目に優しく心に和む、ちょっとばかり縮んだ居ずまいや佇まいが腑に落ちる。そして、なおかつそう考えると、たとえ鉄とコンクリートで建築を作るはめになろうとも、なんだか方法はありそうなのだ。その縮んだ寸法大系に従うことで、体や心の近くに建築を寄り添わせる手立てはありそうなのだ。古都にはこんなふうな、今でも、いや今こそ生きる知恵がまだまだたっぷりと潜んでいるに違いないということを、昔々、ひとりの女将との出会いによって教えられたという話である。 『古都 60号』.古都保存財団.(2008)

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