Shin Takamatsu Architect and Associates Co.,Ltd. 株式会社高松伸建築設計事務所

  • Nowhere

先日、ある写真家の告別式に出席した。16才の時にカメラを手にして以来70年、写真一筋で生き抜いた人物である。写真という、偶然に大きく左右される存在から、まるで一切の偶発性を排除するかの如く、被写体の構図を細部まで隅なく制御する、いわば視線による徹底管理とでも言うべき演出的な撮影法によって独自の様式を確立し、1996年にはフランス芸術文化賞を受章した。写真を芸術という名にふさわしい創造にまで高めたのは彼の功績であると言っても過言ではない。私の知る限り、本人はその緻密な作品とは打って変わって泰然自若かつ寛仁大度、35才も歳が離れているにもかかわらず、まるで同年輩の友人のように接してもらった。 開式の前、未発表であるという最後の作品群がスクリーンに映し出された。タイトルに「雲の美しい日に」とある。空いっぱいの筋雲。ぽつねんと佇む風向計と綿雲、樹々と青空を写す車のサイドウィンドウ、陽に晒された漁具、朽ちた漁船、帆布、防波堤・・・。福山雅治の歌う「遠くへ」に乗って、淡々と現われては消えてゆく空と雲と陽と、そして打ち捨てられたもの達。おそらくは誰もがこう思っていたに違いない。遺作もまた、いや、遺作であればこそ、峻厳なまなざしに徹頭徹尾統御された芸術写真が眼前に現れるに違いない・・・と。そして、おそらくは誰もがこう思ったに違いない。ここにはもはやあの視線は無いのだ・・・と。どこにも向かうことなく、なにものにも乱されることなく、距離も無く、深さも無く、視点さえ無く、ただただ視ることのために視ている、たったひとりの充ち足りたまなざしだけがここに在るのだ・・・と。死を目前にした時、私達は世界をこのように視ることになるのだろうか。 東京新聞2000年8月16日夕刊.(2000)

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