Shin Takamatsu Architect and Associates Co.,Ltd. 株式会社高松伸建築設計事務所

  • Question

喧嘩はめっぽう弱く、歌などからっきしで、走れば必ず転び、泳ぐと溺れた。 体は人一倍軟弱で、全校生徒の中ではいつも一番先に風邪をひき、一番遅くまで学校を休んだ。そんな半端な子供だったから、日がな家に居た。家は祖父を筆頭に、祖父の愛人とその子供達、養女や得体の知れぬ縁者を加えて総勢20数人。もはや一種の部族である。私の半端はそこでも変わり無く、日々ぽつねんと時が過ぎた。それでも私は決して退屈しなかった。絵を描けたからである。といっても、キャンバスや画帳に描くわけではない。画布や油絵の具など小さな漁師町のどこを探してもあろうはずがない。 いわゆる「チラシ」が私のキャンバスとなった。幸いなことに、当時は印刷技術がまだまだで、チラシの片面は無傷のまま残る。表の「大売出し」の文字が少々染み出していようと問題ではない。私にとっては、そのにじんだ片面が、クレヨンの船に乗って冒険の航海に出ることのできる無垢の大海源だった。新聞の折り込みはもとより、野菜を包んでいようと魚をくるんでいようと、母はチラシと見れば片っぱしから収穫し、皴を伸ばし、アイロンをかけ、時に水洗いの上ひなたに晒して私の手元に積んでおいた。 鉄腕アトムや鉄人28号に始まり、戦艦大和やゼロ式戦闘機を経て、機械の設計図や配線図へと、私の腕はメキメキ上達し、少年の日々を、それこそ一心不乱に描き飛ばしたけれど、それでも決してその片面白紙のチラシがとぎれることはなかった。朝目覚めれば必ず紙束が私を待っていた。一番上に母の便りを乗せて。「伸坊、今日はなにを描くの?」 「タブラ・ラサ」という言葉がある。「空白」に対する恐怖のことである。一種の病だが、私の病は逆である。空白は私の「とことん描き埋め尽くしたい」という欲望を煽るだけである。長じて私は建築家になった。まっさらの土地に「とことん建て尽くしたい」という似たような衝動がその動機であったことは否めない。つまりは、母が私を建築家にしたのである。 さて、10年ほど前、郷里の町から美術館の設計を頼まれた。なにもない高台である。完璧な空白である。私は自分の病に素直に従った。ピラミッド型の建築を建てることになった。その高さを巡って、町の役人と丁々発止の末、21メートルと定めた。今でこそ言うが、その高さだと、向かいの小山の母の墓所から、林越しにピラミッドの頂部を僅かに見ることができた。母への30年越しの返信である。 毎日新聞2001年2月16日.(2001)

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