Shin Takamatsu Architect and Associates Co.,Ltd. 株式会社高松伸建築設計事務所

  • Jogging

都市を走る。そう、始めの1マイルはただただ恐怖だ。向かい風は都市の敵意。方向への感覚と、街や人との距離への意識が異常にささくれ立っている。まるで神経組織だけが走っているかのよう。爪先には突如視神経が増殖し、その血走った眼球で次のステップのための足場を探る。ほとんど半日以上かけて慎重に輸血したビールが、こめかみに独特のパルスで鈍い痛みのアラベスクを彫る。固形化した機内食が、不用意に丸ごと飲み下してしまった鰹節のようだ。1マイル、気の遠くなるようなたったの1マイルがそうして過ぎる。突然解放が訪れる。都市の水面に浮上する。そして都市がその炯々たる相貌で、爛々と僕を監視しているのを唐突に知る。さあ恐るべき街にありったけの敬意を込めて御挨拶だ。もうその頃になると、ふたつの肺は街の空気の濃度と密度に従って独特の呼吸法を獲得し、両足は街の歩道との特殊な交信法を修得している。そのまま永遠に走り続けられそうな一瞬だ。聴覚が跳躍力を獲得する。半径1マイルの全ての人の声が聞こえる。街のどよめきが刻々と変化する水圧のように皮膚を通して解る。視覚が遠心力を獲得する。監視衛星からのグラフのように移動する自分の座標が見える。街の色気やにじみが、速度を帯びたフラクタルな図像で視床下部を染める。嗅覚さえ潜在力を拡大する。街のいぶきに新しい香りの定義を開発する。どこにもない豊饒なブレンド。芳香の薫製。速度を増す。僕は街を僕の呼気で切り裂いてゆく。僕の呼気が新しい地図を刻む。 『陽のかたち』.筑摩書房.(1995)

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