1992年、山陰の片隅のひなびた港町に小さな隕石が落下した。町はこの隕石を展示する隕石博物館を中核に、フェリーターミナル、海水療法健康施設及び町民ホールを合体する複合施設の建設を計画し、設計競技を実施した結果、我々を設計者として指名した。
当初の案に無骨なまでに備わっていた強度に関係者が気圧されたせいか、実現した施設は曲折経ることなく設計競技時の提案をほとんど寸分違わず踏襲することが可能となった。即ち、それぞれの施設に必要と思われるプランニングと形態をそれぞれに開発し、相互間の調整を敢えて排しつつ、これを強引に統合するという露骨なまでに素朴な構成がそっくりそのまま維持されることになったという次第である。プログラムの粗野なシンタクスが導いた野合的な手法の結果若しくは成果である。