長崎県出身の気鋭の建築家が県のコミッショナーに着任し、独自の都市計画理論に則して県の開発を主導することになった。彼の戦略は、ある意味合議制に基く近代都市計画論とは一線を画すものである。具体的には、従来のマスタープラン(全体計画)にかわるものとしてマスターイメージをコミッショナー自身が提示し、そのマスターイメージを共通の認識として共有しながら、個々のプロジェクトをそれぞれの建築家がデザインするというものである。従来の都市計画を近代医療学的方法に例えて、彼はこれを自然療法的都市デザイン、即ち、ささやかなプロジェクトを点刺激として患部を癒しつつ、都市全体を構想する方法であるとしている。周辺に散在する離島群との間の航路の拠点となるこの施設は、そのような先駆的かつ実験的な施策における第一号プロジェクトであり、従って施策の存在と意義、かつ可能ならば、いわゆるマスターイメージをも一挙に世に知らしめるという、象徴的な役割を担うべく位置づけられたものである。幸か不幸か、立地はすり鉢状の長崎湾の底に位置し、これを望む視線を遮るものはなにひとつ無い。全長96mの楕円シリンダーに逆円錐が垂直に貫入するという、これ以上無いほど祖型的な造形は、立地が有する避け難い強度と、この建築が担うべき象徴的な責務を前提として開発したものだ。
長崎県長崎港旅客ターミナル
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